夢にまで見た松浦アジフライを食べに行った話(うらばなし)

うらばなし

1日目 長い夜。逃したアジフライは大きい。見上げてごらん、あのアジフライ座を。

はじめに断っておくと、この2ページ目ではアジフライを1枚も食べていない。次にアジフライを食べるのは、3ページだ。画像も最小限しかない。なので一刻も早くぼくにアジフライを食べて欲しい人は最下部から次のページに飛ぶことを推奨する。たらたらとした語りを、それこそお酒を飲みながらでものんびりと眺めたい人は飛ばずにそのまま読み進めて欲しい。

1日目深夜 01.2軒目に入るまで

平日の21時を過ぎても、まだ松浦アジフライを出している居酒屋は付近に数軒あることは分かっていた。なので、それらのお店が固まっている場所に向かってぼくは歩き出した。

ちなみに、宿と提携している居酒屋はそのうちのひとつだったが、営業時間は20時までだった。送迎が20時までなのはお店の営業時間に合わせてあったということだろう。居酒屋としても機能するが、どちらかというと食事処としての性格が強いのかもしれない。

松浦アジフライを提供する居酒屋が合計で3店舗、比較的近くに固まっていたのだが、どのお店も開いていなかった。こればかりは仕方ない。2020年11月当時は、特に緊急的な制限が加わっていなかったとはいえ、営業時間や営業日を減らし、あるいはしばらくの臨時休業を取って対応していたお店も少なくなかったからだ。

こうなると不可抗力による出遅れが非常に痛い。しかし、抗うべからざる力とは良く言ったものだ。不可抗力という言葉は、抗えないから意識を飛ばしてしまったぼくの様子を的確に表現している。

ここまで、松浦では松浦アジフライのガイドブックに載っているお店しか目指していなかったが、それらのお店に行くことはその夜は不可能そうだった。だが、ここ松浦は日本一アジを水揚げしている街だ。松浦アジフライというブランドを掲げていなくとも、アジフライを提供しているお店はあるに違いない、そう思った。

宿まで戻る途上、Go To Eatのステッカーが貼ってあるお店があった。これは結果としてステッカーがあったから飲食店だと分かっただけで、実際は綺麗な面構えをした民家があると思ったらステッカーが貼ってあったので飲食店であると辛うじて分かった、という位だ。

何しろ、メニューも何も出ていない。入り口に書かれている言葉は店名のようだが、インターネットで検索しても情報が何もない。普通だったら絶対に入らない。だがぼくは飢えていた。いや、腹は比較的満たされていたが。アジフライと邂逅する機会に飢えていたのだ。

何の情報もない状態では、真っ先に疑うのは法外な料金を請求されるタイプのお店ではないか、という事だ。しかし、Go To Eatキャンペーンに参加するためにはお堅いところの審査が要るはずなのでその心配はないだろう。当時のぼくはそう考えていたが、偽のステッカーでカモを吊り上げて法外な料金を請求する飲食店の可能性は捨てきれていないことに今気付いた。まあ、一見客がかなり少なそうな地方なのでそんなところに罠を仕掛けるような事はしないとは思うが。

接待を伴う飲食店であった場合も厄介だ。フードメニューにアジフライがあろうはずもない。だが、そもそもそういうお店だったらGo To Eatのステッカーはないだろう。

次に心配なのは、法外ではないがぼくの身の丈に合わない超高級店である場合だ。まあその場合は中のメニューで分かると思うし、値段が書いてないとか全てに時価と書いてあったりすれば恥を偲んでギャルソン(ポリティカルコレクトネス的には正しくない表現だと思うが、つい最近のテレビドラマでも使われていたのでまだ狩られていない言葉だろう)に「これ、おいくら万円ですか?」と聞けばいいだけだ。まさに旅の恥はいっときのかき捨てである。ただ、恥ずかしい振る舞いは彼らの中に残らないかもしれないが、ぼくの中には一生残るのだ。それに耐えられるだろうか。そういうお店で「アジのフライはありますか? あと、それに合うワインを。ちなみに合わせて何百万円ですか」と聞いてみるというのもいいかもしれない。いや、良くはない。

逡巡というのはまさにこういう状態を言うのだろう。店の前で数分ウンウン唸っていた。運良く帰るお客さんや、入るお客さんとのタイミングが合って中の様子が垣間見られないだろうか、とも思ったが、ぼくはそういう巡りあわせには恵まれないようだ。

ぼくは痺れを切らして、扉を開けた。

1日目深夜 02.更ける夜

そのお店は接待を伴う飲食店でも、高級レストランでもなかった。明るいバーだった。ひどいことにはならなさそうだが、アジフライハントをするには不適当と言わざるを得ない。フードメニューはあるものの、アジフライのような手のかかるものは取り扱っていない。

適当に一杯飲んで出るか、とも思ったが、出たところでもう今夜はアジフライにありつけないだろう、そう判断してぼくは落ち着いて飲むことにした。

店内には先客が5人くらいいた。どうやら、会社の同僚同士らしい。話を聞いていると、1人が店長とは旧知の仲らしく、中学生か高校生時代の先輩らしいことが分かる。飲んでいるうちにお互いの警戒心が薄れたのか、少しずつぼくとそのグループの間に会話が生まれた。主に隣に座った「先輩」との会話が多かったが。この先輩は他の4人の上司で、部下を引っ張ってよくこの店に来るとのことだった。

何をしに松浦に? と聞かれたので、アジフライを食べに来た、と答えたら本当にそういう人いるんだ…という反応が返ってきた。もう少し当事者以外の地域住民でも盛り上がって欲しい、そう思った。

その後、別のお客さんが1人入ってきてぼくの隣に座った。リタイアしたのか、何かの事業をしているのかで、どことなく裕福そうな御仁だ。スナックかどこかに寄ってきたらしく、結構酔いが回っている。

この御仁と店長の会話からすると、こちらの御仁も常連客のようだ。私生活はまあまあ充実しているらしく、新しい彼女とどこに行っただとかなんとかそんな話をしていた。酔って呂律が回り切っていない上に、年長者らしい方言の強さもあって、たまに聞き取れなかったりした。

この新しい彼女の話が、店内で共有されだす。どこどこのお店で働いている誰々、というと地元の人には大体分かるようだった。

ぼくは、こういう、地方特有の世間の狭さが嫌いだ。別にそこに身を置いている人が嫌いという意味ではない。ぼく自身がそこに身を置くのが嫌だというだけである。自分のしたこと言ったことが地域で筒抜けになって共有されると思うと、ぞっとする。

なお、他人事として噂話を聞くこと自体はちょっとした野次馬根性もあって嫌いではない。

色々と話を聞いて総合すると、どうやらその新しい彼女というのは、9割位の人が思い浮かべるような彼女ではなさそうだった。店外デートをよくする相手、という感じに聞こえた。相手側はどう思っているかは分からないが、御仁はそれを彼女と思っているのである。もちろん、この解釈にはぼくの偏見が多分に含まれている。が、御仁の元カノもスナックの従業員であるようなことを言っていたので、大体、何となく、9割位の人は同意してくれるような気がする。

恋人関係なんていうのは、人それぞれによって定義が違うものなので、他人を巻き込まない限りは当人同士で好きなように受け止めれば良い。店長はそれを尊重して、その相手のことを一貫して「彼女」扱いしていた。

お客さん相手だから気を遣ってそういう風だと思っていたのだが、どうもそうではないようだった。話している途中、店長が御仁に対して軽めの説教を始めたのだ。私生活のこと、お酒の飲み方のこと。御仁と店長はかなり少なく見積もっても干支1周ぶんは年齢が離れている。

媚びないが、相手の事は尊重するし、言いたいことはちゃんと言う。店長はそんな風な人であるようだった。お客さんを前にしてもその姿勢を崩さないのはとても格好いい姿勢だと思ったし、お店で提供しているものに自信があるのだろうとも思った。いいお店だ。

「いいお店だろう?」

御仁がぼくの心を読んだかのように言う。実際は、酔いによる呂律の不完全さと強めの方言があったので、文字表現としてはこの通りではなかったが、こういう意味の事を言っていた。

結局御仁はちょっと一杯、程度のつもりだったようで、誰よりも早く帰っていった。御仁は「この店はいいお店だ、いいお店なんだ」、そういう意味の言葉を繰り返しながら出て行く。ちょっと(結構)酔っぱらっていらっしゃる。

ちなみに、ぼくは男だから女だからそれ以外だから、というような判断基準を持つことを避けているのでここまで書いていなかったが、実は店長は女性である。

100%の偏見でぼくの見たもの聞いたものを解釈するならば、他のお店で媚びを売られるのが常である御仁に説教してくれるのはこの店の店長だけなのである。ここで2パターンの想像が働いた。

・自分に媚びず、叱ってくれる店長が貴重な存在なので御仁はこの店に通っている

・自分に媚びない店長をいつか媚びさせたい(≒屈服させたい)ので御仁はこの店に通っている

のどちらかなのだろうな、ぼくはそう思った。

「ユリはさ、いい女だよな」

部下を4人引き連れて来ていた「先輩」がぼくに対して言った。店長はユリという名前なのか。「先輩」の言う事に、ぼくは素直に同意した。店長の「ユリ」という名前に少しドキリとしながら。

???日前 00.ユリ

断っておくが、「ユリ」というのは仮名である。仮名なので別にシャクヤクでもボタンでもいいのだが、とりあえず思い浮かんだのでユリで通す。

ぼくが「ユリ」という名前に少しドキリとしたのには、大したことではないが理由がある。たまたま、ぼくが地元にいた高校生の当時に「付き合ってくれていた」、言い換えれば「恋人関係でいてくれた」人と同じ名前だったというだけだ。

恋人関係なんていうのは、人それぞれによって定義が違うが、一応正式に恋人関係だったとは認識している。それにわざわざ「くれていた」と付けるのは、きっとユリはぼくのことを本当の意味で好いてはいなかったんだろうな、と思っているからだ。

そう思うのに至った理由もあるが、それこそ今既に話が脱線しているのに更に脱線してしまうのでここでは省く。2回脱線したら元の路線に戻るとか、そんな風に都合よくはできていない。

そこにあったのは愛情ではなく愛着で、ぼくの申し出を受けてくれたのは青春時代特有の気まぐれだったのだ、と。そういう意味では、ぼくだって人の事を言えない。ぼくがユリのことを本当に好きだったのか、改めて考えると分からなくなる。

ユリは住む世界が違う人だったのだ。

長野県の諏訪という、温泉と湖と精密機器とその他諸々がウリの地方で育ったぼくは、何の変哲もない中学生時代を過ごし、順当に高校生になった。そこでぼくはそれまで出会ったことのないタイプの人たちと出会う。ぼくの進学した高校には、サロンのような集まりがあった。

まあ、サロンと表現してはいるが、実態は単に気の合う仲間の緩やかな集まりに過ぎない。ただ、インテリやアーティストの雰囲気を漂わせているその集まりに、ぼくは誘引された。

そのサロンのメンバーには「本物」と「本物以外」がいた。ぼくは「本物以外」の方で、ユリは「本物」だった。「本物」は「本物以外」とどこが違うのか。これは一例に過ぎないが、「本物」は他人に同調せず、我が道を行く傾向にあったし、価値観は特有で先鋭的だった。

ぼくは「本物」の在り方に強く憧れたのだ。

憧れた本物の輝きに目がくらみ、ぼくはユリに恋をしたと勘違いした。それまでも恋心と呼べそうなものが心の中に芽生えたことはあったが、この時のその感情は、それまでにも、その後にもないようなものだった。

存在の輝きに対する憧れと高校生特有の劣情がないまぜになって、ぼくはユリに接近していった。しばらくして、ぼくはユリと付き合うことになった。そしてしばらくして、ぼくはユリと別れることになった。

この頃のことはぼくの中で鈍い輝きを持って今なおぼくを照らしている。あるいは、ぼくの行く先に影を落としている。まだ、自分の中で総括し切れていないのだと思う。

ぼくは大学に行くのを機に地元の街を出て名古屋に住むことになった。いつも一緒にいたサロンのメンバーとは連絡を取らなくなった。ぼくは大学を出て、名古屋でそのまま就職した。サロンのメンバーとは完全に断絶した。

ある年のことだ。実家に帰ると、何か月か熟成されたぼく宛ての年賀状が親から手渡された。その中に、ユリからの年賀状もあった。年賀状に印刷されていたのは、花嫁姿のユリと、花婿姿のサロンメンバーの1人だった。

そのサロンメンバーは、「本物以外」の方だった。高校生時代にはお互いの世界は一切交わってなかったように思えたし、何なら互いに苦手同士だったようにも思えたのだが。当時の2人の様子を知っているぼくからするとその2人がくっつくのは信じられなかった。

サロンメンバーからどんどん疎遠になっていたぼくからすれば信じられないのかもしれないが、その後を知っている人からすると「お似合いの2人」なのかもしれない。

2人はぼくと同じように、それぞれ進学に伴い県外に出た組だった。県外に出た者のその後の進路は、地元に戻るか、ぼくのように行ったきり地元に戻らないか、概ね2つに分かれる(この文は何の分類にもなっていない)。

恐らく、2人は就職した地域が一緒だったのだろう。2人の間にはぼくの知らないドラマと、互いへの想いを育んだエピソードもあったのだと思う。そういう色々な想像もあるのだが、自分の心の水面にぷくりと浮かんできた泡の中からはこんな言葉がはじけた。

「ああ、『手を打った』んだ」

完全に偏見である。

特に連絡を取れる訳でもないので真相は今も分からない。連絡が取れたところで、「2人がそんなことになるとは思わなったな、なんでまた?」とかそんな失礼なことを聞けるはずもないのだが。

ちなみに、大学を卒業してからぼくは「本物」らしき人には出会えていない。「本物以外」の要素を持った人も含めて、サロンメンバーのような空気を漂わせた人にも会えてはいない。そういう人に会いたい訳でもないが。あの頃ぼくの感じていた「本物」だとか、サロンの空気なんていうのはただの幻想だったのかもしれない。

だけれど、2人は大学生時代は昔所属していたサロンの空気に飢え、久しぶりに会ってみたら4年振りに深呼吸をしたような気持ちになったのではないだろうか。で、「手を打った」のだ。こういうのも地方の力場なのだろう。いや、ぼくの妄想だが。

そういう意味では、ぼくは深呼吸できていないことになる。どこかでエラ呼吸を身に付けたのだろう。彼らとはもう、住む世界が違うのだ。

1日目深夜 03.ユリさん

そういう訳で、そんなことを思い出しながらズルズルと閉店の時間まで飲んでしまった。グループ客は帰り、最後はぼくと店長のユリさんだけになった。話をしたり、しなかったり。心地よい時間だった。もしかしたら早く帰れと思われていたかもしれないが。

ユリさんは色々な話をしてくれた。バーカウンターの中に入る仕事は大変だな、と思った。一通り話して、ユリさんはポツリと言う。

「普段お客さんにこんなこと話さないのに…つい話しちゃいました。聞き上手だから」

聞き上手というのは一応、言われて悪い気はしない。相手が気持ち良く話したついでに面白い話が聞けるならそれでいい。ちなみに聞き上手は比較的よく言われるが、これは「お前全然自分から話しねーな」という意味であることにも気付いている

臨機応変に面白く話ができる人はすごいと思う。尊敬の眼差しを向けざるを得ない。ぼくが何かを話そうとすると脱線に脱線を重ね、「で、何の話?」となってしまうのでぼくは余り自分から話をしないのだ。

「お客さんにプライベート写真なんて普段は見せないんですけど」

ユリさんはタブレットを取り出して写真を見せてくれた。京都のお寺に紅葉を見に行ったときの写真らしい。ライトアップされた紅葉をバックに、ユリさんと家族が映っていた。そこに映っているのがユリさんだと教えてもらわなければ、そうであると気付けなかったろう。目の前にいるユリさんはドレスアップして髪形もセットされていたが、写真の中のユリさんは落ち着いた格好をしていたからだ。

この辺り出身の親族が京都にいるとのことで、その親族に会うために京都に行ったらしい。何でも、その親族はあるスポーツで将来を期待されたスタープレイヤーだという。ぼくはスポーツに詳しくないので残念ながら名前を聞いても分からなかったが。

聞いた名前をその場で検索してみると、その選手に関するまとめの記事が出てくるくらいのスターだった。恐らく、今の勢いや注目度からすると数年もしたらトッププレイヤーの仲間入りをするだろう。数年後が楽しみだ。

実は、この日から約1週間後、ぼくは京都でこの選手の名前を目にすることになる。ある目的に沿って、あるお寺を訪問したときのことだ。紅葉を見る目的ではなかったので全くのノーマークだった。また、ユリさんの訪れたお寺にも期せずして訪れることにもなった。

そんなことがあったので、松浦を離れてもユリさんのことが少し心に残ってしまった。京都に行ったときのことはまた別の話なのでどこかで書きたい。

1日目深夜 04.あれがシリウス、アルデバラン、アルヘナ

気だるくも、ほんのり甘い香りのする時間を過ごし、ぼくは店を出た。辺りは静まり返っている。街灯もそこまで多くないので、星が良く見えた

オリオン座とその周りにある明るい星々
オリオン座を跨ぐように左下のシリウス、右上のアルデバラン、左上のアルヘナで直角二等辺三角形がつくれるが、アルヘナは街中だと余り見えない

南の空には見事なオリオン座。そこを手掛かりに、おおいぬ座のシリウス、おうし座のアルデバランが見付かる。これにこいぬ座のプロキオンを加えた辺りが冬の星空の定番セットだろう。撮影したのはふたご座の足先辺りに位置するアルヘナとアルジル(左上の2つ)までの範囲だった。こいぬ座はもう少し左側なので、わざわざ避けたということはそこが曇って見えなかったのだと思う。

高校生のときにアルバイトで、星空の観望イベントのスタッフをしたことがある。ぼくの地元には、星空の名所があるのだ。このイベントはユリの友人の家庭が深く関わっているもので、ユリ経由でアルバイトに入った覚えがある。

しかしながら、当時のぼくは星空に対する興味はほとんどなかった。イベント中も星空を見上げたかどうか覚えがない。季節は夏だったので、きっと天の川がしっかりと見られたのではないだろうか。

覚えは一切ない。今は星空に比較的興味があるので、当時のぼくがいかにもったいないことをしていたかが分かる。なかなかオールナイトで星空の観望イベントなんて行けないものだ。また、星空がよく見える場所まで行くのも苦労が伴う。

こういう、格好のチャンスをフイにしていた、という事はそのチャンスを失ってしばらくしてからでないと気付けないものである。現在進行形で失い続けていることは、当人にも分からないものだ。

この文は後から振り返って書いているが、この旅路においてもアジフライを幾つか食べ損ねた以外に、現時点でも気付いていない「何か」の機会を失っているのだろう。それに気づいて、後々歯噛みするのだと思う。まさに逃したアジフライは大きいのである。

そのことに気付いたとき、星空を見上げて適当に線を結び、アジフライ座をつくることにしよう。そして、アジフライ座に伝わる神話として何かを逃したエピソードを設定しよう、そう心に決めた。

だが、今のところ、逃したアジフライもアジフライ座に伝わるエピソードもない。まだ、何かを逃した、あるいは機会を失ったことにまだ気付いていないのだろう。

タイトルとURLをコピーしました